2019年7月28日日曜日

2019年7月28日 小金井福音キリスト教会 説教題「信仰による人間疎外と抑圧」

2019年7月28日 小金井福音キリスト教会 説教

【聖書箇所】
 歴代志下 第16章7~10節
 マタイによる福音書 第12章1~8節
 使徒行伝 第8章1~3節

【説教題】
 「信仰による人間疎外と抑圧」

‘19年7月第4主日礼拝説教「信仰による人間疎外と抑圧」       2019.7.28
旧約書:歴代誌下16章7節~10節 
福音書:マタイによる福音書12章1節~8節
 使徒書:使徒行伝8章1節~3節

  今日の礼拝説教の中心となります聖書個所は使徒行伝8章1節から3節の記事です。この箇所は、サウロ、後にパウロと呼ばれる私たちプロテスタントの教会を含む西方教会の伝統で最も重んじられている人物について初めて聖書が言及した箇所です。
  もっとも、正確いうならば最初にサウロの名前が聖書に出てくるのは、先週お話し致しました使徒行伝7章54節から60節までのステパノの殉教の記事に置いてです。その使徒行伝7章54節から60節において58節で「彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた」という形で出てきます。

  ここで言う「彼」というのは、ステパノのことです。ステパノはイエス・キリスト様が十字架に磔になり殺され墓に葬られた3日後に蘇られ、天に昇られた後に、この地上に出来上がったぁ最初のキリスト教会であるエルサレムの教会の執事を務めた人でした。執事というのは、今日の私たちの教会に置き換えて言うならば教会役員のような責任のある立場です。 そのステパノが、ある時イエス・キリスト様が救い主キリストであるということに反対する人々と議論になり、その反対者たちを論破したのです。そのため、その反対者たちからサンヘドリンと呼ばれるユダヤの民の最高議会に訴えられた。もちろんいわれのない訴訟です。訴えられた以上、ステパノは自分の信仰について弁明しなければなりません。  

 そこでステパノは、サンヘドリンの議会の場で、ユダヤの人々が謀略をもって十字架の上で殺したいイエス・キリスト様こそが神がおつかわしになった救い主キリストであるということを、アブラハムから始まるユダヤの民と神との関わりを示しながら、明らかにしていくのです。そしてそのうえで、そのイエス・キリスト様を殺したユダヤの人々を厳しく糾弾した。そのことが使徒行伝7章1節から53節までに書かれている。
  そのようにステパノから厳しく糾弾されたユダヤ人々は、激しく怒り、その結果ステパノの半身を穴の中に埋めこぶし大の石を投げつけて処刑する石打ちという刑に処します。その時、ステパノに意志を投げつけに集まった人々が脱いだ着物をサウロにあずけた。サウロはその着物をあしものとおいて管理していたというのが、先ほどの使徒行伝7章58節の「彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた」という出来事なのです。

  このとき、サウロがステパノに石を投げつけたかどうかは定かではありません。しかし、サウロはステパノを殺すことに同意をしていたということは間違いありません。先ほど司式の兄弟にお読みいただいた8章1節に「サウロはステパノを殺すことに賛成していた」と書いてあるからです。  
 このステパノの殉教は、もっとも原初のキリスト教会に集う人々の間に深い悲しみをもたらしました。それと同時に激しいユダヤ人からの迫害と弾圧をもたらしたのです。それこそ、ユダヤの人々がキリスト教徒にもっていた怒りが一気に爆発して激しい迫害と段あるの嵐となってキリスト教徒を襲い始めたのです。 

 みなさん、私たち夫婦は、結婚して32年になりますが、こういっちゃなんですが、32年たってもかなり仲のいい夫婦です。しかし、それでも32年も一緒にいれば夫婦げんかだってする。その中で、恥ずかしい話ですが、一度だけ妻に向かってこぶしを振り上げたことがあります。その時、妻が私に向かって「叩かないで」と叫んだのです。
  その妻の「叩かないで」という言葉が耳の飛び込んできたとき、とっさのことでしたが私は「もし私がいまここで怒りにまかせてこぶしを振り下ろしたら、もう歯止めが利かなくなってしまう。自分の怒りが抑えられなくなる」とそう思ったのです。そして、その思いが、私を思いとどまらせたのです。

  しかし、ユダヤの人々は、ステパノを殺すということでその一線を越えた。そのときに、ユダヤの人々への怒りや憤りが、キリスト教会に対しする弾圧と迫害という行為になって現れたのです。そして、サウロもまた、その迫害と弾圧の最中に、迫害者、弾圧側の人間としてその迫害と弾圧に関わっていくのです。その様子が3節に「ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った」という言葉で記されている。 

 この場合の教会はギリシャ語をみますと単数形ですのでまさに、エルサレムにできた最初の教会の人々に対してサウロは「家々に押し入り、そこに住む男女を引きずり出し、次々に獄に渡していれる」ということをして「教会を荒し回った」のです。そして一度、関を切ったサウロの怒りは収まることがなく、お読みいただいた8章1節から三節に続く4節に「さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。」とありますように、迫害のために散らされていったエルサレム教会の人々が散らされていった先で伝道をし、その伝道によって救われキリスト教徒になった人々までも弾圧しようと追いかけていくのです。

  みなさん、サウロがなぜここまでに激しくキリスト教を弾圧しキリスト教徒を苦しめ続けることができたのか。その背後には、自分が正しいという思いがあったと考えられます。実は、ここにはサウロの経歴は書かれていませんが、サウロは後にイエス・キリスト様と出会うという神秘を経験し、イエス・キリスト様を信じ、悔いらためてパウロと名前を改めます。そのパウロが自分の経歴使徒行伝22章3節4節でこう言っています。  

  3:そこで彼(パウロ)は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。4:そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。

  パウロすなわちサウロは、自分はキリキヤのタルソ生まれであると言います。キリキヤのタルソというのは今日のトルコの南側で地中海に面した都市です。ですから、サウロは生粋のユダヤ人ではありましたがユダヤ文化だけではなく異国の文化にも触れて育っていたと言えます。 実際、イエス・キリスト様と出会い、悔い改めてキリスト者となりパウロと名乗るようになった以後、パウロは多くの手紙を書き残しています。それが新約聖書の中にある。それ見ますと、パウロにはギリシャ哲学の影響、とりわけプラトンの影響を受けていたことを見てとることができます。

 とはいえパウロ、すなわちサウロはユダヤ人ですからユダヤ人として律法を守り行っていた。とりわけ律法に関しては、サウロはガマリエルという当時のユダヤ教の律法を教える学者の下で律法を学んだというのですから、サウロ自身、律法、つまり旧約聖書については十分な知識と学問的素養を持っていたと思われます。そう言った意味では、旧約聖書に関してはイエス・キリスト様の弟子たちよりも、より詳しく知っているし正しい知識を持っていると言える。だからこそ、キリスト教徒に対して「男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」というのです。

  そこには、自分は律法について正しく知り間違っていない。間違っているのはイエス・キリストを救い主として信じるキリスト教徒だという思いがある。だから誤った考えを持ったキリスト教徒を迫害し、弾圧するのだ。そうやって私は彼らの誤りを正し、人々の誤りを正しているのだと言うわけです。

  みなさん、今、私は自由意志に関するある本を精読しているのですが、その本の中でフーコーという哲学者のことが紹介されていました。フーコーはポストモダンと呼ばれる現代の哲学的風潮の中心人物ですが、彼は、権力が私たちを如何に権力に従って行動させるために部分的ではあるが、暴力を道具として使うというのです。すなわち、すべての人に対してではなく、一部の人に暴力を用い、それによって暴力を振るわれたわれたときの恐ろしさや痛み、苦しみを理解させ、その恐ろしさや痛みや苦しみを通して、人々を自分の考えに従わせ、自分の思うように、しかも自発的に動かさせようとするのだとフーコーは言う。 
 たとえばよく言われる死刑抑止論です。死刑という暴力的な刑があるから、人々は死刑を恐れて人殺しと言った犯罪を思いとどまさせる意義があると言った理屈です。それは法という権力が、死刑という暴力をつかって正義を護るです牢とするのです。

 正義を護ろうとするとき、 人は暴力的になる自分を許容できる。それと同じ心理がパウロに働いていたと思われます。それが使徒行伝22章3節4節にある「3:わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。4:そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」という言葉の中に如実に現れている。

 みなさん、このように自分が正しい、正しいことをやっていると思う時に、人は極めて残酷的なことを行うということはしばしばあるのです。それは信仰の世界でもある。いや信仰の世界だからこそ、一層厳しく顕著に表れてくるのかもしれません。

 例えば、先ほどの旧約聖書・歴代誌下16章7節から10節に出てくる南ユダ王国のアサという王様です。  このアサ王は神を信じる信仰に対して極めて敬虔であり、歴代の南ユダ王国の王様としては優秀で善い王様の一人に数えられる人です。実際、エチオピア人が百万の大軍をもって南ユダ王国を攻めてきた時に、その半数たらずの58万であったのにもかかわらず、神により頼む信仰によって、このエチオピアの百万の大軍を打ち破ったという実績をもっていました。それによってアサ王が納める南ユダ王国は長く戦争の内平和な時を過ごすのです。

  ところが、その南ユダ王国と同じ古代イスラエル王国にルーツを持つ北イスラエル王国が、南ユダ王国に平和な時を破ります。北イスラエル王国の王バアシャが攻めてきたのです。この北イスラエル王国の攻撃に対して、アサ王はスリアの王ベネハダに金銀を送り、同盟を結んで共に北イスラエル王国戦ってくれるように懇願します。この願いを受けてスリア軍が南ユダ王国の援軍となりアサ王は北イスラエル王国を退けるのです。
  ところが、このスリアの王に援軍を求めたアサ王の行動を先見者ハナニが叱責したというのが、先ほどお読みした歴代誌下16章7節から9節です。先見者とはサムエル記上9章9節などを見ますと「今の預言者は、昔は先見者といわれていた」とあるますから預言者と同じ意味だと考えてよろしいかと思います。その先見者ハナニは、アサ王がかつて神により頼んでエチオピアの大軍を退けたように神により頼むのではなく、スリアの王という人を頼って問題を解決しようとしたその姿勢を叱責したのです。

  けれども、アサ王はハナニの叱責の言葉に耳を傾けません。アサ王にも、自分が神の前に正しく生きてきたという自負があります。そして実際にエチオピア軍を撃退し、南ユダ王国に長い平和な時をもたらしたという実績もある。そして、今回も北イスラエルの攻撃を退けるという結果も出している。まさに、自分は間違ったことをしていない、自分は正しいのだという思いがある。信仰的にも、またその信仰に基づく行動においても正しい、間違っていない、その思いが、ハナニの言葉に耳を傾けることができず、むしろ10節にあるように、ハナニを牢獄に入れるという行為に至ってしまうのです。

  先見者ハナニを牢獄に入れるということは、いわばフーコーがいうような部分的な暴力を用いて自分の考えや思いをつらぬく行為です。そのようなことにいったん手を染めたアサ王は、さらには自分の意に添わない民をも虐げる者へとなってしまいました。そのことが歴代誌下16章7節から10節に記されている。

  みなさん、その同じ過ちが、あの使徒行伝8章1節から3節のサウロにおいても繰り返されているのです。それは、自分が正しいと思う、自分は間違っていないと思う人にからみつく罪であり、正義感や正しさが陥りやすい罪の罠なのです。
  もちろん、誤っていること、間違っていることは正さなければなりません。しかし、誤りや間違いを裁き、制裁や刑罰で正そうとするならば、私たちはいとも簡単にこの罪が仕掛ける罠に陥ってしまいます。聖書に出てくる律法学者を代表とする当時のユダヤの人々は、まさに、その裁く裁きによって、ユダヤの人々を正しい道へ導かれると考え、また裁きを通して過ちを正そうと考えていた。しかしそれは、律法の用い方としては決して好まし方法ではないのです。

  ではどうすればよいか。私たちはそのことを先ほどお読みしましたマタイによる福音書の12章1節から8節にあるイエス・キリスト様のお姿から学ぶことができます。 このマタイによる福音書12章1節から8節は、イエス・キリスト様の弟子たちが安息日に麦畑で麦の穂を摘んで食べたことを巡るイエス・キリスト様と律法学者たちの論争が記されています。
 それは、人様の麦畑の麦の穂を取って食べたということの倫理性を巡る議論ではなく、安息日にはいかなる労働をしてはならないという律法を巡る信仰の問題を争う論争です。

  この論争において、律法学者たちは弟子たちが律法にある安息日規定を破っているといって、イエス・キリスト様に弟子たちを訴え責めます。そこでは律法が裁きの道具となり、弟子たちを裁いているのです。 ところが、イエス・キリスト様はダビデとその共の者が飢えの中にある時、ダビデは律法で祭司しか食べてはならないと定めてあるパンを自分も食べ、また植えているその共の者たちにも与えたというのです。そしてさらに安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日に祭司としての労働をしも律法違反にならないと聖書に書いてあると反論するのです。
 その上でイエス・キリスト様は、「わたし(すなわち神)が好むのは、あわれみであって、いけにえではない」と言われている意味を律法学者に問うのです。 それは、律法は人に罰を与えるための裁きの原則としてあるのではなく、むしろ、私たちが神と人との関係、人と人との関係に置いて、争うのではなく平安に生きていくために隣人愛の原則としてあるということです。
 だから「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」というのです。 誰かが間違っている、過ちを犯しているというとき、私たちに求められているのは、相手を間違っていると裁き、断罪し責めのではなく、相手の心に、気持ちに寄り添う憐みの心です。憐みの心とは、相手の気持ちを汲み取り、どうしてそのような考え、どうしてそのような行動に出たのか、また相手が自分の行動でどのような気持ちになるのかを考え、語り行動することです。ここが大切です。ただ考えるだけでなく、語り行動すること。ここが大切なのです。

 みなさん、私たちの教会の今年の御言葉は、週報の表紙に記されていますね。そう「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけであいするのではなく、行いと真実をもって愛し合おうではないか」(ヨハネ第一の手紙、3章18節)という御言葉です。それはまさに、「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」という隣人愛の実践です。
  サウロは、自分の信仰と聖書の理解は絶対に正しい、間違っていないと思っていた。その思いが義憤となり、正義感となり、そしてその信仰によってキリスト教徒を疎外し、抑圧していったのです。しかし、それは迫害と弾圧なって「男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」という愛に欠ける間違った行為になって現れた。

  みなさん、聖書には「悪い木は悪い実を結ぶ」とは聖書が言いところです。しかし、聖書は私たちに善き実を結ばせる善きものです。ですから、たとえ聖書の言葉を用いていても、その聖書の言葉をもって、またキリスト教の信仰をもって、私たちが人を裁いていたならば、私たちは正しく聖書を理解していないし、信仰を正しい思いで生きていない悪い木となって自己主張をしているのです。 そのことを、今日の聖書箇所の使徒行伝8章1節から3節はパウロの姿を通して私たちに語っている。それは私たちが裁くものではなく、神の愛に生きる者となるために大切な教訓なのです。祈りましょう。

2019年7月21日日曜日

2019年07月21日 小金井福音キリスト教会 説教題「 神の子とされ、神の子となる 」

2019年07月21日 小金井福音キリスト教会 説教

【聖書】
 ・創世記 第1章26~27節
 ・福音書 マタイによる福音書 第5章38~48節
 ・使徒行伝 第7章54~60節

説教題「 神の子とされ、神の子となる 」


 197月第3主日礼拝説教「神の子とされ、神の子となる」        2019.7.21
旧約書:創世記1章26節~27節(旧約聖書p.2
福音書:マタイによる福音書538節~48(新約聖書p.7)
使徒書:使徒行伝754節~760節(新約聖書pp.192-193

 お気付きになった方も多いと思いますが、今日の主日礼拝の説教の中心となります聖書個所の使徒行伝754章から60節は、先週の礼拝説教の中心箇所とほとんど重なっています。

 先週は、今日の聖書の箇所とほとんど同じ個所から、私たちが聖書の言葉の前に立ち、真摯な姿勢で聖書の言葉に向き合いますと、聖書は私たちの現実の姿、真実の姿を浮き彫りにしていくということをお話ししました。聖書の言葉の前に立ち、真摯な姿勢で聖書の言葉に向き合うということは、イエス・キリスト様の前に立つ、神の前に立つということであると言ってもいい。

そのように、神の言葉である聖書の言葉が、私たちの真実の姿を浮き彫りにしていくとき、その浮き彫りにされた私たちの姿の中には、私たちにとって好ましくない、不都合なものも含まれているともお話ししました。

 ステパノという人は、まさに聖書に記されたイスラエルの民、すなわちユダヤ人の歴史を語りながら、神が神を信じるイスラエルの民に対して信実なお方であり続けたのにもかかわらず、繰り返し神に背を向けて来た姿を示しながら、まさにそのような姿が、今のあなた達の姿であるということをイスラエルの民に示したのです。

 それは、イスラエルの民にとっては好ましくない不都合な姿でした。そのような好ましく直不都合な姿を示されたユダヤ人の実像を示すステパノに対し、イスラエルの民、すなわちユダヤの人々は激しく怒ったとあります。彼らは、反省するのではなく怒ったのです。そしてステパノに対して激しい敵意を見せた。聖書はその様子を、「歯ぎしりをした」という言葉をもって表現しています。

 そのような中で、ステパノは聖霊に満たされたと聖書は告げます。聖霊とは、三位一体なる神の第三位格に当たる存在であり、私たちが神の前に正しく判断し、正しい行動をすることができるように導いてくださるお方です。そのお方がステパノの心の中に働きかけ、ステパノはその聖霊なる神の導きに自らを委ね従おうとした。まさに天を見上げたというのです。

 その時に、ステパノは「神の栄光が現れ、イエス・キリスト様が神の右に立っておられるのを見た」と聖書は記す。みなさん、この時、イエス・キリスト様は十字架に付けられて死に、三日目によみがえり、神の国である天に昇られておられますので、到底、イエス・キリスト様のお姿を見るということなどあり得ないことです。

そのあり得ないことをステパノは経験しているのです。そしておそらくその時にステパノの周りにいたユダヤ人には、そのイエス・キリスト様のお姿を見ることができなかったのでしょう。ですからそれは、まさに神秘体験であると言って良いできごとです。そのあり得ない出来事をステパノは語るのです。そしてそのステパノの言葉を聞いたユダヤ人は、大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて殺到し、彼を市外に引き出して、石で打ったのです

 みなさん、石打ちという刑は、レビ記20章をみますと、モレクと呼ばれるその当時の中近東地域で崇められていた神の名です。そのモレクは繁栄をもたらす神であり、その当時は子供をささげる、すなわち子供を殺し焼いて奉げるといったおぞましい習慣があった。そのモレクを崇める者や口寄せや占いをする者に対して、石打ちという科せられた処罰でした。それは、このような行為が、まさに聖書が語り伝える神に背を向け、神ならぬものを神とし、偶像礼拝に陥っているからです。

 みなさん、この当時の中近東にはモレクと呼ばれる神以外にもアシュタロテやバアルといった多くの神々が崇められていました。その中で、レビ記20章はただモレクの名をあげ、そのモレクに子供をささげる者は石打ちにされると書かれている。なんだか不思議な感じがする。聖書の神以外にもアシュタロテやバアルと言った神もあるのに、なぜモレクだけなのか。

 もちろんこれは私の推測にすぎないのですが、そこにはモレクに子供を犠牲として捧げるという行為が伴っているからではないかと思うのです。みなさん。モレクという神は豊穣をもたらし、モレクを崇め、崇拝し、礼拝する者に多くの利益をもたらす繁栄の神です。その自らにもたらされる繁栄のために自分の子供を犠牲にするといったことが行われていた。

みなさん、子供という存在は、最も力のない存在です。抵抗する力を持たない弱い存在であると言って良い。その力のない弱い存在を、自分の富とか繁栄のためには犠牲にする。それは、自分の欲のためには、力のない弱い者を犠牲にしても、その自分の欲を満たすためには、他者を犠牲にすることをいとわない人間の姿がある。

そしてそのような人間の姿を戒めるかのようにして、聖書は、レビ記202節で「だれでもその子供をモレクに奉げる者は、必ず殺さなければならない。すなわち国の民は石で撃たなければならなない」というのです。それは、人間は、本来は最も力のない者、あるいは弱い者のため自らをささげる者として神によって造られているからです。それが人間の本性なのです。

ですから「自分の欲を満たすためには、他者を犠牲にすることをいとわない人間の姿」は人間が人間であるところの人間本性からは逸脱した姿だと言えます。しかしそれは、決して他人ごとではない。それは、現代の私たち取り巻く社会にも見られる現象だと言えます。むしろ、今の社会、現代の社会においても、人間の欲が満たされることが何よりも重んじられてはいないか。それこそすべてが金銭価値によって量られているような、お金や富を神とする拝金主義、マモンという名の富をもたらす神に、知らず知らずに膝をかがめてはいないか。私たちは自分自身を顧みて見る必要があるのかもしれません。

そのような、自分の欲を満たすためには人を犠牲にするような人間を戒める石打ちという刑もって、ユダヤの人々はステパノを殺そうとするのです。それは使徒行伝756節の「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」という言葉が、神を冒涜する言葉と思ったからです。

しかも、「人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」ということは、イエス・キリスト様が神であるということを証しする言葉です。と言うのも、神の右の座というのは神の力と権力を示す座であり、そこに人の子、つまりイエス・キリスト様が立っておられるというのは、イエス・キリスト様が父なる神と一体のまさに子なる神であるということに墓ならないからです。

ですから、このステパノの言葉を認めれば、ユダヤの人々は神の子を拒絶し殺したことになる。もちろん、そのようなことは決して認められないし認めたくない。そんな思いがここに描かれているユダヤの人々にはあったのでしょうし、またステパノは神を冒涜しているという思いもあったのでしょう。「人々が大声で叫びながら、耳をおおった」という5節にあるようなユダヤの人々の姿にはそのような様々な思いが複雑に混ざり合ったものであると考えられます。

そのような中で、ただステパノ一人が「天が開けて、人の子(イエス・キリスト様)が神の右に立っておいでになる」姿を見ているのです。そして、その神の右の立っておられるイエス・キリスト様は見ているステパノは、祈り続けている。いったい彼は何を祈っていたのか。聖書は、ステパノが何を祈り続けていたのかその祈りの内容は記してはいません。

ただ、彼がの祈りの結果が「主よ私の霊をお受け下さい」という言葉になってあらわれている。それは死を覚悟する言葉であったのでしょう。なぜなら、イエス・キリスト様もまた「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(ルカ2346)と言って十字架の上死んでいかれたからです。

そして、その自分もまたイエス・キリスト様と同じようにユダヤの人々によって殺されようとするその死を覚悟したとき、ステパノは「主よ、どうぞこの罪を彼らに負わせないでください」と言って死んでいくのです。この言葉もまたイエス・キリスト様が十字架の上で語られた「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ2334)という言葉に重なり合います。

この「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」という言葉も、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」という言葉も、いずれもルカによる福音書に記されている言葉です。そして「主よ私の霊をお受け下さい」というステパノの言葉と「主よ、どうぞこの罪を彼らに負わせないでください」というステパノの言葉を記す使徒行伝を書いたのもまたルカによる福音書を記したルカの手によって書かれているのです。

 そのことを考えますと、ルカはあえてこのステパノの二つの言葉をピックアップしてここに記したのにはそれなりの意図があったと思われます。すなわち、イエス・キリスト様を信じる者となり、イエス・キリスト様の弟子たちが築き上げられたイエス・キリスト様の弟子の群れである共同体、つまり教会に加えられイエス・キリスト様の弟子となったステパノは、イエス・キリスト様の弟子であるがゆえに、イエス・キリスト様の弟子として、イエス・キリスト様に倣って死んでいったのだと告げたかったからなのだと言って良いだろうと思います。そしてそれは、まさに神の子とされたものが、神の子となって死んでいったのだということなのです。

みなさん、先ほど司式の方に創世記126節、27節を読んでいただきました。そこにしるされていることは、私たち人間には神の像が与えられているということです。すなわち、聖書はこう言うのです。

26:神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。27:神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

 みなさん、この箇所は聖書がどのような意図をもって書かれているか、つまり聖書がどのような意味をもって書かれているかということ、それを釈義といいますが、その釈義に置いて意見が分かれるところであります。

 27節の人間は神の像に造られたということは意見が分かれるところではありません。確かに聖書は人間は神の像が与えられている。問題は26節です。26節には二つの問題がある。一つは、神がご自分のことを「われわれ」と複数で語られている点です。唯一の神がご自分のことを「われわれ」と呼んでいる。これには諸説がある。一つは「われわれ」ということで三位一体を表すという説です。また天使という霊的存在を含めて「我々と呼び」人間は霊的存在であると言っているという説。あるいはヘブル語には尊厳の複数という文法があり、単数の個人を複数で表すことで、その存在の威厳と尊厳をあらわすのであって、ここでは神が威厳ある存在としてご自分を表しているという説です。

しかし、今日考えたい問題はもう一つの問題です。ですから、一つ目の問題は、私個人としては尊厳の複数と考えるべきであろうと思うとだけ述べて、もう一つの問題に目をむけたいのですが、それは「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」とある点です。

この「「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」とある言葉は、最初の「われわれのかたち」というのは、2節で言われている神の像であり、次に「我々にかたどって造り」と言われているのは、その神の像に基づいて神の似姿に造られたことなのだといって、最初の「神のかたち」と「神の似姿」とを分けて捉える理解と、いや最初の「われわれのかたち」と次のわれわれかたどって」というのは同じことだと理解とに分かれるのです。

おそらくみなさんは、後者の「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」と理解しておられたでしょうし、多くの方もそのように理解しているのではないかと思います。私もそうでありました。しかし、よく考えてみると、最初の理解もかなり味わい深いのです。

ともうしますのも、聖書が言う神の像はラテン語ではimago Deiといいます、imagoとは英語でいうならばイメージです。 みなさん、イメージというのは実態ではなく頭に思い描く姿、画像です。つまり、私が神の像がに造られたというのは、私たちは神の頭の中に思い描かれる神の自画像ともいえる神の像があり、その神の像にしたがって造られたということです。

しかし、それは神のイメージですから、実体としてはまだ現れていない。そのイメージが実体があらわれて初めて私たちは神に似た神の似像になる。そう考えますと先に述べた「最初の『われわれのかたち』というのは、2節で言われている神の像であり、次に『我々にかたどって造り』言われているのは、その神の像に基づいて神の似姿に造られたことなのだ」という理解は実に味わい深い、むしろそちらの方が正しい理解なのではないかとさえ思えてくるのです。

そう考えますと、私たちがイエス・キリスト様の救いの業によって神の子とされたということは、単に理念的・観念的に神の子とされたということだけではなく、まさに神の子とされたがゆえに具体的に神の子として生きる者とされたのだということです。そしてその神の子として生きるということは神の子となる歩みを生きることなのです。

みなさん、先ほど私たちは新約聖書のマタイによる福音書538節から48節の言葉に耳を傾けました。みなさん、このマタイによる福音書38節から48節は、51節から始まるイエス・キリスト様の山上の垂訓の中にある言葉です。

そこのある、「右のほほを撃たれるならば左のほほも打たれるために差し出しなさい」とか「下着を取ろうとするものには、上着を与えてやりなさい」とか「1マイル強いて行かせようとする者がいたら2マイル一緒に行ってやなさい」といったことは、すべて44節の「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」ということに集約されます。そしてそれは、59節にある八つの幸福に至る押して八福の押しと言われるその教えの中にある「平和を作り出す人たちは、幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」と言われる教えの、具体的な実践のある方を示すものなのです。

平和を生み出すためには、和解が必要です。しかし、現実には平和をもたらすことは極めて難しい、この世界に私たちが知る歴史には平和な時代などなかった言ってもいい。聖書が記す人間の歴史だって、あの創世記の記述依頼、いつでも争いがある。最アダムとエバでさえ、善悪を知る木を食べてしまったのはお前のせいだと争っている。そのアダムとエバの子であるアベルとカインの間にも憎しみが生まれ兄が弟を殺すという出来事が起こっている。

ですから、和解を生み出すには、憎しみを乗り越える力が必要であり、憎しみではない愛による生き方が必要になって来る。それが、マタイによる福音書538節から48節に記されている生き方であり、ステパノは、まさに今殺されようとする中、死を覚悟したときに「主よ、どうぞこの罪を彼らに負わせないでください」といって、イエス・キリスト様に倣い、イエス・キリスト様の教えに従った生き方を生き、神の子とされた者が神の子となる生き方の証人となったのです。

みなさん、私たちは、イエス・キリスト様の十字架の救いの業によって神の子とされました。それはまさに神の恵みの業です。そして、その神の恵みの中で私たちは今を生きているのです。ですから、神の子とされたのですから神の子となるように生きようではありませんか。

私たちはステパノのように殉教することはないでしょうし、殉教する必要もありません。しかし、自分の繁栄と利益にためにモレクを崇め、礼拝したようなこの世に在り方ではなく、そのような「この世」の在り方に死んで、キリストに倣う生き方を歩んでいくものとなりましょう。

聖書は『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。」と言います。敵を憎む、それはまさにこの世においては当り前のこと、この世の在り方です。しかし、聖書は、そのようなこの世の在り方を突き抜けて「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」というのです。そしてあなたがたにはそれができるというのです。なざならば、私たちは、本来は神の像に造られ、神の似姿となるように造られた神の子だからです。

その神の子としての生き方、神の子としての命から逸脱してしまっていたのを、イエス・キリスト様は、本来あるべき姿に呼び戻し回復し、もう一度神の子として立たせて下ったのです。だから、神の子とされた私たちは神の子となることができるのです。そのことを覚え、私たちを神の子として下さったイエス・キリスト様の生き方を模範とし、共に神の子となる歩みを歩んでいきましょう。お祈りします。

2019年7月20日土曜日

2019年07月14日 小金井福音キリスト教会 説教題「 神の言葉に向き合い生きる 」

2019年07月14日 小金井福音キリスト教会 説教

【 聖書 】
・エレミヤ書 第26章 20 - 24 節
・マタイによる福音書 第23章 29 - 39 節
・使徒行伝 第7章 51 - 60 節

説教題「 神の言葉に向き合い生きる 」



197月第2主日礼拝説教「神の言葉に向き合い生きる。」         2019.7.14
旧約書:エレミヤ書2620節~24節(旧約聖書p.1091
福音書:マタイによる福音書2329節~39(新約聖書p.38-38)
使徒書:使徒行伝751節~760節(新約聖書pp.192-193

 今日の礼拝説教の中心となります箇所は、7章の13節から60節までです。この箇所は7章の1節から始まったステパノの長い説教の締めくくりの言葉と、そのステパノの締めくくりの言葉を聞いたユダヤ人たちの反応が記されています。

 そのステパノの締めくくりに言葉、それは

51:ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆 らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。52:いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。53:あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった。

という、ユダヤ人たちを厳しく糾弾する言葉でした。とは言え、ステパノとは71節からここに至るまでは、その説教を通して、ユダヤ人、つまりはイスラエルの民に対して、彼らの父祖アブラハムと神との間に結ばれた約束のゆえに、神はイスラエルの民が神に対して不忠実であったのにもかかわらず、イスラエルの民のただ中に住み、彼らと共に歩み、彼らを導いてこられた歴史を語っているのです。言うなれば、神のイスラエルの民に対する愛と慈しみと恵みの歴史を語っていると言える。

 ところが、先ほどお読みしたいただきました51節から53節は、一転して厳しい糾弾の言葉、言葉を変えて言えば裁きの言葉が語られる。

 たとえば、51節においては「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである」と言う。「こころにも耳にも割礼がない人たち」と言う。割礼というのは、体に刻み込まれたユダヤ人がユダヤ人である証拠です。
 その割礼を引き合いに出して「心にも耳にも割礼のない」というのは、要は、「あなたがたは見た目にはユダヤ人だが、ユダヤ人としての心も行いもない。ただ形だけのユダヤ人だ」と言うのです。そしてそれは聖霊に逆らっているからなのだと言うのです。

 このときのステパノがいう「聖霊に逆らっている」と言う言葉は、いったいどのような意味なのか。それを知るためには、この当時のユダヤ人が聖霊についてどのような理解を持っていたかを知ることが必要です。ところが、旧約聖書には、あまり聖霊、つまり「聖なる霊」について語っていないからです。ある研究者(大澤香『聖霊の系譜』)によれば「聖なる霊」という表現は、旧約聖書においては3回しか使われていないということです。
 しかし、少なくともイエス・キリスト様の時代、そして使徒行伝の時代のユダヤ人たちの間には「聖なる霊」についてのある一定の理解があったようです。それは、あの有名な20世紀最大の発見と言われるクムランの洞窟でみつかった死海文書の中にある。

みなさん、死海文書の「中に頻繁に「聖なる霊」という言葉が使われているそうです。そこでは「聖なる霊」は、神を信じ、律法を重視し、形式的な信仰ではなく、内実の伴った信仰を生きる共同体のメンバーに「聖なる霊」は与えられるものと考えられていたと言うのです。

みなさん、律法というのは、神を信じる神の民がいかに生きていけばよいかということを示す指針です。ですから律法を重視し律法を守って生きようとする生き方は、いうならば、ユダヤ人が真のユダヤ人、真の神の民として生きようとしている言うことです。そのように、神の民が神の民として生きる、あるいは生きようと努力するとき、そこに「聖なる霊」が働いているのです。そのような理解が、イエス・キリスト様の時代、また使徒たちの時代のユダヤ人の間にあった。
 また、ステパノについて考えますと、彼はペンテコステという聖霊が与えられると言う出来事を経験している。そして聖霊が与えられた時、彼らは大胆にイエス・キリスト様と言うお方が語られた教えを人々に伝え始めたのです。つまり、聖霊、すなわち「聖なる霊」が与えられるとき、「聖なる霊」は、イエス・キリスト様こそが私たちの主であることを示し、その私たちの主であるイエス・キリスト様に従って生きる者へと導くのだということを、ステパノは身をもって経験しているのです。

 みなさん。聖書は、律法はイエス・キリスト様において完全成就していると言います。そのイエス・キリスト様に置いて成就している律法は、神の民が如何に生きていけば良いかを示す指針です。だとすれば、その律法がイエス・キリスト様において成就しているのですから、私たちもまたイエス・キリスト様の言葉と生き方に倣って生きていくならば、私たちもまた律法を成就することができる。
 しかし、ユダヤ人たちはそのイエス・キリスト様を拒否し、十字架に付けて殺してしまったのです。そのこと自体が、まさに「聖霊に逆らっている」ことなのです。だから、ステパノは、52節で「いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった」と言う。そして、53節で「あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」と結論付けるのです。

 みなさん、ステパノはこの事が語りたいがために、ユダヤ人の歴史を長々と語ったのです。そして、そのユダヤ人の歴史はまさに旧約聖書に記されている。ですから、ステパノがアブラハムから始まるユダヤ人の歴史を語ったのは、今、ステパノの目の前にいるユダヤ人を聖書の言葉、すなわち神の言葉の前に立たせるためであったと言えます。
 なぜならば、旧約聖書には、確かに神の民を憐み、慈しむ神のお姿も指し示されていますが、それ以上に、先々週も申し上げましたがユダヤ教のラビであり、現代を代表する宗教哲学者であるヘッシェルという人が鋭く指摘するように、それ以上に神の目からみた人間の姿が語られているからです。 
だから、聖書神の前に立つは私たちの姿を映し出す鏡のようなものです。ですからその聖書という鏡の前に立つとき、ユダヤ人だけでなく、神の言葉の前に立つすべての人の姿が映し出される。それは私たちにも言えることなのです。
そしてそこに映し出される人間の姿は、うなじの堅い、強情で、決して神の言葉に聴き従わない民の姿なのです。その神の語る人間の姿に向き合わさせようと、ステパノはイエス・キリスト様を拒絶した人々を聖書の言葉の前に立たせるのです。その意味で、ステパノは預言者的な働きをしている。

みなさん、佐藤敏夫という神学者は聖書に示された信仰には祭司的宗教としての側面と預言者的宗教の二つの側面があると言います。祭司的宗教は、神と人との間を執成す機能を持っています。ですから、そこには神の恵みが強調され、ミサや聖餐式といった祭儀的なことが中心になって来ます。

それに対して、預言者的宗教の持つ特徴は、人々の誤りを鋭く指摘して正しい歩みに導こうとする機能を持つところにあるというのです。だから、いかに生きるかという倫理が問題になって来る。実際、旧約聖書に出てくる預言者と呼ばれる人々は、彼らが生きた時代のユダヤの民の王や、宗教的指導や、そしてユダヤの民に、彼らの社会に、また彼ら自身の内にある不正や過ちを、厳しい裁きを告げる神の言葉をもって鋭く糾弾し、彼らに神に立ち帰るようにと促したのです。
 それは、そのような厳しい糾弾の言葉を聞いて、王が、宗教的指導者が、そしてユダヤの民が、神の前に悔い改めて神に立ち帰れることを願っているのです。しかし、そのような厳しい言葉を告げる預言者は、往々にしてユダヤの民から嫌われ、そして命を狙われることもしばしばありました。先ほど、司式の兄弟にお読みいただいた旧約聖書のエレミヤ書2620節から24節に出てくるウリヤという預言者もその一人です。

 この預言者ウリヤはエレミヤと同じ時代の預言者で、エホヤキンという人が南ユダ王国の王の時代に預言者として活動していました。ウリヤはエレミヤと同様に南ユダ王国で「あなたがたは神の言葉に聴き従わず、律法も守らない。だから、あなたがたは悔い改めて、私が使わす預言者の言葉に聴き従い、神の言葉に耳を傾け神の言葉に聴き従って行きなさい。でなければ、あなたがたは神の裁きを受けるようになってします」という言葉を語っていたのです。
その結果、ウリヤはエホヤキン王によって殺され、その遺体は共同墓地にすてらたのです。当然、このウリヤと同じような内容の言葉を語っていたエレミヤも命をねらわれたのですが、シャパンの子アヒカムという人が彼を助けたので、殺されるところまでは行きませんでしたが、しかしそれでも投獄される監視され、穴に投げ入れられると言った苦難に会います。

ステパノが、使徒行伝752節で「いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか」と言ったのは、このような事々が背景にあったのです。そしてその先祖たちの迫害の頂点に置かれたのがイエス・キリスト様だったのです。そのイエス・キリスト様も、ウリヤやエレミヤのように、律法学者やパリサイ人あるいは祭司長と呼ばれるユダヤ人の宗教的・社会的指導者たちを厳しく糾弾しました。

先ほどのマタイによる福音書2329(実際にはその球団は13節から始まるのですが)から39節は、その様子がしるされているのですが、そこにおいて、イエス・キリスト様は、「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ」といって、厳しい言葉を彼らに投げかけます。そして、その結果、彼らによってイエス・キリスト様につき従う弟子たちが迫害を受けることになるだろうとも言われている。 
そしてその言葉は、ステパノの身に成就するのです。それが今日の説教の中心箇所となる使徒行伝751節から60節の部分の後半54節以降に記されている出来事です。ここでは、ステパノによって厳しく糾弾された人々が心の底から怒って、ステパノを殺してしまった様子が記されています。

みなさん、あの預言者ウリヤにしろ、エレミヤにしろ、そしてイエス・キリスト様にしろ、人々を厳しく糾弾するときに語った姿は、彼らの現実の姿です。そこでは、神の言葉に向き合い、神の言葉に聴き従って生きる信仰は形骸化し、自己中心的で自己欺瞞に満ち、形骸化しているか、あるいは自己中心的で自己実現的な信仰、それは自分自身を神とする偶像礼拝と言ってもいいような信仰に生きている偽善的な姿がある。 
でもね、みなさん。人間と言うのは不思議なもので、自分自身の正直な姿をいわれると怒り出してしまう者の様です。私が非常に尊敬する牧師方々は多くいらっしゃいますが、その方が修養生(神学生)でいらした時のことだそうです。

東京聖書学院では、二人一部屋が基本なのですが、毎日夜に、その二人で祈るのです。この話は三鷹教会出身の方は来たことがあると思いますが、その祈りの時に、私の尊敬する先生のお一人が、自分の問題点や割る点を一つ一つ上げながら祈っていた。それこそ「私は〇〇〇が至らないもので云々~」「わたしにはこういう悪いところがあって云々」と祈る。そうすると「〇〇〇が至らない」というと、同室の人が「アーメン」と相槌を入れる、「こういう悪いところがある」というと「アーメン」とまた相槌をいれる。そういうことを繰り返していると、だんだん腹が立ってきたと言うのです。

自分の至らないところ、悪いところは分かっている。けれども、それを人から指摘されると腹が立ってきて怒りが沸き上がって来るのが人間の実像なのかもしれません。そして神の言葉は、その私たちの実像を浮かび上がらせ、「あなたはこのようなものなのだよ」と鋭く私たちの心に切り込んでくるのです。 
それは、確かに私たちの至らなさや悪いところを指摘します。糾弾してきます。けれどもそれは、私たちを怒らせるためでもなく、また裁くためではない。ただ私たちに自分たちの実像を見せ、悔い改めて神に目を向け、神の言葉に耳を傾け生きる者とするためなのです。

ウリヤもエレミヤも預言者として厳しい神の裁きを告げました。しかしそれは、神の民であるイスラエルの民が、神の言葉にしっかりと向き合い、神の言葉に従って生きる真の神の民となるためなのです。律法学者やパリサイ人を「偽善者」と言ったイエス・キリスト様も、彼らが偽善者であることを望んでおられるわけではありません。彼らば本当に神の前に善き者となることを願っておられるのです。
そしてステパノもまた、彼の目の前にいる人々に厳しい糾弾の言葉を投げかけるのは、神の民が神の民であるがゆえに、変わらぬ真実な愛で不忠実な者たちを導く続けた神の前に立たせ、自らの問題点を知り、神の言葉に聴き従って生きる者となって欲しいと願ってのことなのです。そして、それこそが神が預言者をおつかわしになったお心である。

みなさん。私たちが神の言葉である聖書に正面から向き合うとき、聖書は私たちの不都合な姿を浮き彫りにし、それを私たちに見せつけます。けれども、それは私たちを裁くためではありません。そのような私たちが聖書の言葉に取り組み、イエス・キリスト様に倣って生きる者なるように導くためなのです。 
ですから、聖書の言葉に向き合い、信仰に向き合って生きるときに、どんなに自分がダメだと思うことがあっても、ひたすら神の言葉の前に立ち、イエス・キリスト様を私たちのもとし、イエス・キリスト様に倣う生き方となるよう努力することが大切です。そしてその努力は必ず報われます。なぜならば、私たちは神の像を与えられ、神の似姿になる者として神によって創造されているからです。

だからこそ、神を信じ、イエス・キリスト様を信じる者は神の子とされるのです。お祈りしましょう。

2019年7月8日月曜日

2019年7月7日 小金井福音キリスト教会 説教「私たちの中に住まわれる神」

2019年7月7日 小金井福音キリスト教会 説教

【聖書箇所】
 旧約書)出エジプト記 第29章36~46節(旧約聖書p.118)
 福音書)ルカによる福音書 第17章20~21節(新約聖書p.119)
 使徒書)使徒行伝 第7章44~49節(新約聖書p.192)

【説教題】
 「私たちの中に住まわれる神」

19 7月第一主日聖餐式礼拝説教「私たちの中の住まわれる神」      2019.07.07
旧約書:出エジプト書2936節~46節(旧約聖書p.118
福音書:ルカによる福音書1720節~21(新約聖書p.119)
使徒書:使徒行伝744節~749節(新約聖書p.192

 さて、71節から始まったステパノの説教は、イスラエルの民の始祖であるアブラハムの物語から始まり、ヨセフの物語、そしてモーセの物語と繋がってきました。これらの人物の物語に一貫してつらぬかれていたものは、どこまでも約束に忠実な神の真実な姿でした。
 そのことが、使徒行伝71節から43節において語られている。と同時に、そこには、どこまでも約束に忠実で真実な神のお姿とは対照的に、神に背を向け不忠実なイスラエルの民の姿も記されています。

そのイスラエルの民を神の民として整えるために、40年間にわたる放浪の旅を経験させます。荒野は、何もない不毛の地です。水も乏しく食べる者を手に入れるのも一苦労するような場所です。まさに生きていくにはとても厳しい環境なのです。 
そのような場所で、神はイスラエルの民に対して神に信頼し、神の寄り縋り、神の言葉に従て生きていくことをお教えになるのですが、その荒野の地を旅するにあたって、神は今日の使徒行伝744節にありますように、イスラエルの民に幕屋を造るようにと命じられます。その幕屋を造るようにとお命じなった出来事が旧約聖書の出エジプト記2589節に記されていますが、そこにはこうあります。

8:また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むため である。9:すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。

ここでは、神が、神の指示なさるそのご指示に従って聖所と幕屋を造りなさいと命じておられます。そしてその幕屋は神がイスラエルの民の共に住まわれるためだと言うのです。つまり幕屋というのは、イスラエルの民が荒野で放浪の旅をする間、神がその幕屋を住まいとしてイスラエルの民と共に住まわれるためのものとして造られたのです。

そしてその幕屋において、神はイスラエルの民に語り、イスラエルの民と出会ってくださると言うのです。先ほど司式の兄弟にお読みいただいた出エジプト記2938節から46節にそのことが記されている。特に42節以降です。そこにはこう書かれている。

42:これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に絶やすことなく、ささぐべき燔祭である。わたしはその所であなたに会い、あなたと語るであろう。43:また、その所でわたしはイスラエルの人々に会うであろう。幕屋はわたしの栄光によって聖別されるであろう44:わたしは会見の幕屋と祭壇とを聖別するであろう。またアロンとその子たちを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるであろう。45:わたしはイスラエルの人々のうちに住んで、彼らの神となるであろう。 

 このように、幕屋を通して、神は荒野を旅する間をも決してイスラエル民を見捨てず、また見離さず、イスラエルの民と共に住み、共の歩んで下さるお方であるお方であること知らせていくのです。そして、そのようなお方が、あなたがたの神なのだということを示しておられるのです。

 みなさん、このように神がイスラエルの民のただ中に住まいを定め、そこからイスラエルの民に語りかけ、出会い、導いてくださるということは、その当時のイスラエルの人々にとってはとてつもない驚きであったろうと思うのです。
 というのも、あの奴隷のような苦役をおわされていたエジプトの地から導き出されるという神の救いの業を経験したイスラエルの民ではありましたが、彼らにとって神は決して身近な存在ではありませんでした。むしろ遠い存在であったと言える。

 そもそも、エジプトで苦しんでいたイスラエルの民が、神の救いの業にあずかったのははるか昔のアブラハムの時代に神とアブラハムの間に結ばれた契約のゆえなのです。それこそ、自分たちが与り知れない出来事のゆえに、彼らは神の憐れみと慈しみを受けるのです。おまけに、幕屋ができる以前は、モーセが山に登り、そこで神と出会い、律法や神の言葉を戴き、それをもって山を下り、イスラエルの民に伝えていたました。そして、イスラエルの民は、モーセが山から下ってくるのをじっと待っていなければならなかったのです。ですから、イスラエルの民と神との間には精神的には遠い距離があったと言えます。

 ところが、幕屋ができてからは、その神が、幕屋という彼らのただ中にあり、彼らの目に見えるところに住まわれるのです。そして、そこで燔祭や酬恩祭といった祭儀(祭りごと)が行われるのです。当然、彼らは神というお方を身近に感じたであろうと思われますし、また、神というお方を意識して生きざるを得ない状況であったと思います。
そして、そのような中で彼らは荒野の40年という試練の旅を、神と共に旅するのです。その荒野を旅していたイスラエルの民が、いよいよ神の約束の地にたどり着き、そこで国を造ります。国を造ってそこに住み着くということは、定住生活が始まるということです。しかし、その試練の旅が終わり、定住生活が始まっても、幕屋は受け継がれてていきダビデの時代にまで至ったと今日の聖書箇所で745節は伝えます。それは、イスラエルの民が神の民だからです。 
まさに、神の民というのは、神を中心にし、神の臨在を絶えず身近に感じながら生きていく民なのです。そのイスラエルの民は、ダビデ王の時代になって神殿を建てようと考えます。実際にはイスラエルの民というよりも、ダビデ王が神殿を建てたいと願ったわけですが、ダビデ王の背後にはイスラエルの民があり、ダビデ王はイスラエルの民の代表として、このような一人の人が全体を代償するような事象を集合人格と呼びますが、その民の代表として神殿を建てようと志すのです。

ダビデという王様は、40年間の荒野での放浪の旅を終え、イスラエルの民がカナンの地に帰りつき、そこに国を建て、士師とよばれる指導者によってイスラエルの国が導かれた後に、イスラエルの民が周辺の諸国に倣って王を立て、その国の繁栄が最高潮になったときの王様です。そのダビデ王がどうして受け継いできた幕屋ではなく神殿を建てようとしたのかは定かではありません。 
国が繁栄したので神の住まいとなるところも、その繁栄にふさわしく立派なものにしようと考えたのかもしれませんし、周辺の諸国は、彼らが信じる神々にたいして神殿を建て、その神々、例えばバアルであるとかアシュタロテと言った神々を礼拝しているのを見て、それに倣って、自分たちの神のためにも神殿を建て、そこで神を礼拝しようと考えたのかもしれません。

いずれにせよ、ダビデは神のために神の契約の箱を安置する神殿を建てようとしたのであり、そのこと自体は神を中心にし、神の臨在の下で神と共に生きる神の民であるイスラエルの民にとって決して悪いことではありません。そして、その事業はソロモンの時代に実現する。 
ところがステパノは、そのダビデが志を立て、ソロモンがそのダビデの志を実現して建て上げた神殿に対して、イザヤ書661節の言葉を引用しながら、神は人間の手で作った家の内にお住にならないと言うのです。これは何とも不思議な言葉です。

ダビデ・ソロモンが建てた神殿は、神ご自身がそこにお住みになると宣言して建てられた幕屋の延長です。そして、実際にソロモンによって建て上げられた神殿が奉納されたときには主の栄光が神殿に満ち、主の栄光が現れたと歴代誌下723節には記されているのです。なにに、ステパノは、「いと高きものは、手で作った家の内にはお住にならない」そのことを真っ向から否定するようなことを言うのです。 
もちろん、神はこの世界の創造者であり、この世界を超えた超越者でありますから、小人間の手で作った家にお住にならないと言うのはその通りでありましょうし、神殿を造り建立したソロモン自身も歴代誌下618節で「しかし神は、はたして人と共に地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。わたしの建てたこの家などなおさらです」とそのことは分かっているのです。

 しかし、それでもなお、神は幕屋を通し、神殿を通してご自身のご臨在を表し、神がイスラエルの民のただ中でイスラエルの民と共におり、イスラエルの民と共に歩み、イスラエルの民を導く御方であることを示されるのです。ですから、そのことを考えると、このステパノの言葉は、いかがなものかと思わされるものです。
 もちろんこのステパノの言葉は、聖霊に導かれた言葉であり、聖書に残された言葉です。ですから、聖書のこの箇所に、このように記されているにはそれなりに意味がある。では、どのような意味があるのか。そこで思いつくのが、イエス・キリスト様がヨハネによる福音書219節にあるイエス・キリスト様の言葉です、

この言葉は、イエス・キリスト様が神殿で商売をしている人たちを追い払ったいわゆる「宮清め」という出来事をなさったときに言われた言葉ですが、イエス・キリスト様はこう言われた。すなわち、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」と言われたのです。

この言葉は、イエス・キリスト様がご自分の体を神殿に譬えて、「わたしを殺すなら殺してごらんなさい。わたしは三日でよみがえるでしょう」という十字架の死と三日目によみがえるその復活の出来事を指しているのだと聖書は言いますが、当時にユダヤ人達は、エルサレムにある神殿のことを指していると思った。

 そして、そのエルサレムにある神殿は当時のユダヤ人の心のより何処であり、この神殿がる限り彼らには、神が彼らと共にあると言う希望があったのです。しかし、ステパノの言葉はそのような神殿に寄せる彼らの期待や希望を打ち砕くものです。なぜならば、問題は神殿そのものにあるのではなく、神殿が持つ本来の意味が重要だからです。つまり、神殿そのものが重要なのではなく、重要なのは神がイスラエルの民のただ中に住み、イスラエルの民と共に歩み、イスラエルの民を導いておられるということなのです。
 だからこそ、この民にただ中に住まれる神の臨在を人々は感じ、意識し、そこから発せられる神の言葉に聴き従って生きること、努力して生きることが大切なのです。ステパノが、神殿に対して、「いと高きものは、手で作った家の内にはお住にならない」と否定的な言葉を述べたのは、その本質を見落として、神殿があると言うことに希望を見出している人々に対する厳しい糾弾の言葉であったと言えます。

 そして、そのような厳しい言葉を述べる背景には、私たちのただ中にあって共に住み、私たちと共に生き、私たちを導く神の神殿はイエス・キリスト様なのだと言うステパノの確信があると言って良いでしょう。ですから、ステパノは、もはや、イスラエルの民と共に住み、共に生き、導かれる神は神殿の中におられるのではない、神のひとり子イエス・キリスト様の中におられ、イエス・キリスト様を通してあわされているのだと言いたいのです。

 みなさん、私たちは先ほど司式の兄弟に新約聖書ルカによる福音書1720節、21節の言葉をお読みいただき、その言葉に耳を傾けました。。
 この箇所は、パリサイ人に神の国はいつ来るのかと問われたイエス・キリスト様が「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と答えられた箇所です、

 実は、この「あなたがたのただ中にあるのだ」という言葉をどう理解するかについてはいろいろと意見が分かれるところです。神の国というものを精神化して、「あなたの心の中に神の国はくるのだ」という人もいますし、「あなたの手の届くところに神の国はあるのだ」という人もいますし「イエス・キリスト様の人格と宣教に置いて神の国はすでにきているのだ」と理解する人もいる。それは、単衣にこの「ただ中」にと訳されたギリシャ語ντςと言う言葉をどう理解するかにかかっているのですが、実はこのντςと言う言葉には間という意味もある。
 つまり、今、イエス・キリスト様に「神の国はそこにあるのか」と尋ねているパリサイ派の人々や、それを取りまく群衆の間に神の国はある。つまりイエス・キリスト様ご自身が神の国の表れであると言う意味にもとれるのです。

 実際、イエス・キリスト様は全き神であり全き人です。ですから、イエス・キリスト様にあっては、神の恵みがイエス・キリスト様を支配し、神がイエス・キリスト様と共に在り、またイエス・キリスト様と共に在る。だからこそ、イエス・キリスト様はご自身を神殿に譬えられたのです。
 そう、イエス・キリスト様は、私たちのただ中に住まわれた神なのです。そのイエス・キリスト様というお方が、今日も私たちと共に住み、私たちと共に生き、私たちを導いてくださるのです。そして、そのお方を表す存在としてキリストの体なる教会がある。だから、私たち教会に集い礼拝をし、交わりを持ち、神の言葉に耳を傾けるのです。

みなさん。神は教会を通して私たちの間に共に住んで下さり、私たちを教え導いて下さています。神は、教会に集う私たちの間に住まわれておられるのです。皆さん、私たちは、この私たちと共に在る神の恵みのもと、神の言葉に教え導かれながら、神と共に生きていけるのです。そのことを覚えながら、神に民として共に神に前に歩んでいきましょう。お祈りします。