2019年7月28日 小金井福音キリスト教会 説教
【聖書箇所】
歴代志下 第16章7~10節
マタイによる福音書 第12章1~8節
使徒行伝 第8章1~3節
【説教題】
「信仰による人間疎外と抑圧」
‘19年7月第4主日礼拝説教「信仰による人間疎外と抑圧」 2019.7.28
旧約書:歴代誌下16章7節~10節
福音書:マタイによる福音書12章1節~8節
使徒書:使徒行伝8章1節~3節
今日の礼拝説教の中心となります聖書個所は使徒行伝8章1節から3節の記事です。この箇所は、サウロ、後にパウロと呼ばれる私たちプロテスタントの教会を含む西方教会の伝統で最も重んじられている人物について初めて聖書が言及した箇所です。
もっとも、正確いうならば最初にサウロの名前が聖書に出てくるのは、先週お話し致しました使徒行伝7章54節から60節までのステパノの殉教の記事に置いてです。その使徒行伝7章54節から60節において58節で「彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた」という形で出てきます。
ここで言う「彼」というのは、ステパノのことです。ステパノはイエス・キリスト様が十字架に磔になり殺され墓に葬られた3日後に蘇られ、天に昇られた後に、この地上に出来上がったぁ最初のキリスト教会であるエルサレムの教会の執事を務めた人でした。執事というのは、今日の私たちの教会に置き換えて言うならば教会役員のような責任のある立場です。 そのステパノが、ある時イエス・キリスト様が救い主キリストであるということに反対する人々と議論になり、その反対者たちを論破したのです。そのため、その反対者たちからサンヘドリンと呼ばれるユダヤの民の最高議会に訴えられた。もちろんいわれのない訴訟です。訴えられた以上、ステパノは自分の信仰について弁明しなければなりません。
そこでステパノは、サンヘドリンの議会の場で、ユダヤの人々が謀略をもって十字架の上で殺したいイエス・キリスト様こそが神がおつかわしになった救い主キリストであるということを、アブラハムから始まるユダヤの民と神との関わりを示しながら、明らかにしていくのです。そしてそのうえで、そのイエス・キリスト様を殺したユダヤの人々を厳しく糾弾した。そのことが使徒行伝7章1節から53節までに書かれている。
そのようにステパノから厳しく糾弾されたユダヤ人々は、激しく怒り、その結果ステパノの半身を穴の中に埋めこぶし大の石を投げつけて処刑する石打ちという刑に処します。その時、ステパノに意志を投げつけに集まった人々が脱いだ着物をサウロにあずけた。サウロはその着物をあしものとおいて管理していたというのが、先ほどの使徒行伝7章58節の「彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた」という出来事なのです。
このとき、サウロがステパノに石を投げつけたかどうかは定かではありません。しかし、サウロはステパノを殺すことに同意をしていたということは間違いありません。先ほど司式の兄弟にお読みいただいた8章1節に「サウロはステパノを殺すことに賛成していた」と書いてあるからです。
このステパノの殉教は、もっとも原初のキリスト教会に集う人々の間に深い悲しみをもたらしました。それと同時に激しいユダヤ人からの迫害と弾圧をもたらしたのです。それこそ、ユダヤの人々がキリスト教徒にもっていた怒りが一気に爆発して激しい迫害と段あるの嵐となってキリスト教徒を襲い始めたのです。
みなさん、私たち夫婦は、結婚して32年になりますが、こういっちゃなんですが、32年たってもかなり仲のいい夫婦です。しかし、それでも32年も一緒にいれば夫婦げんかだってする。その中で、恥ずかしい話ですが、一度だけ妻に向かってこぶしを振り上げたことがあります。その時、妻が私に向かって「叩かないで」と叫んだのです。
その妻の「叩かないで」という言葉が耳の飛び込んできたとき、とっさのことでしたが私は「もし私がいまここで怒りにまかせてこぶしを振り下ろしたら、もう歯止めが利かなくなってしまう。自分の怒りが抑えられなくなる」とそう思ったのです。そして、その思いが、私を思いとどまらせたのです。
しかし、ユダヤの人々は、ステパノを殺すということでその一線を越えた。そのときに、ユダヤの人々への怒りや憤りが、キリスト教会に対しする弾圧と迫害という行為になって現れたのです。そして、サウロもまた、その迫害と弾圧の最中に、迫害者、弾圧側の人間としてその迫害と弾圧に関わっていくのです。その様子が3節に「ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った」という言葉で記されている。
この場合の教会はギリシャ語をみますと単数形ですのでまさに、エルサレムにできた最初の教会の人々に対してサウロは「家々に押し入り、そこに住む男女を引きずり出し、次々に獄に渡していれる」ということをして「教会を荒し回った」のです。そして一度、関を切ったサウロの怒りは収まることがなく、お読みいただいた8章1節から三節に続く4節に「さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。」とありますように、迫害のために散らされていったエルサレム教会の人々が散らされていった先で伝道をし、その伝道によって救われキリスト教徒になった人々までも弾圧しようと追いかけていくのです。
みなさん、サウロがなぜここまでに激しくキリスト教を弾圧しキリスト教徒を苦しめ続けることができたのか。その背後には、自分が正しいという思いがあったと考えられます。実は、ここにはサウロの経歴は書かれていませんが、サウロは後にイエス・キリスト様と出会うという神秘を経験し、イエス・キリスト様を信じ、悔いらためてパウロと名前を改めます。そのパウロが自分の経歴使徒行伝22章3節4節でこう言っています。
3:そこで彼(パウロ)は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。4:そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。
パウロすなわちサウロは、自分はキリキヤのタルソ生まれであると言います。キリキヤのタルソというのは今日のトルコの南側で地中海に面した都市です。ですから、サウロは生粋のユダヤ人ではありましたがユダヤ文化だけではなく異国の文化にも触れて育っていたと言えます。 実際、イエス・キリスト様と出会い、悔い改めてキリスト者となりパウロと名乗るようになった以後、パウロは多くの手紙を書き残しています。それが新約聖書の中にある。それ見ますと、パウロにはギリシャ哲学の影響、とりわけプラトンの影響を受けていたことを見てとることができます。
とはいえパウロ、すなわちサウロはユダヤ人ですからユダヤ人として律法を守り行っていた。とりわけ律法に関しては、サウロはガマリエルという当時のユダヤ教の律法を教える学者の下で律法を学んだというのですから、サウロ自身、律法、つまり旧約聖書については十分な知識と学問的素養を持っていたと思われます。そう言った意味では、旧約聖書に関してはイエス・キリスト様の弟子たちよりも、より詳しく知っているし正しい知識を持っていると言える。だからこそ、キリスト教徒に対して「男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」というのです。
そこには、自分は律法について正しく知り間違っていない。間違っているのはイエス・キリストを救い主として信じるキリスト教徒だという思いがある。だから誤った考えを持ったキリスト教徒を迫害し、弾圧するのだ。そうやって私は彼らの誤りを正し、人々の誤りを正しているのだと言うわけです。
みなさん、今、私は自由意志に関するある本を精読しているのですが、その本の中でフーコーという哲学者のことが紹介されていました。フーコーはポストモダンと呼ばれる現代の哲学的風潮の中心人物ですが、彼は、権力が私たちを如何に権力に従って行動させるために部分的ではあるが、暴力を道具として使うというのです。すなわち、すべての人に対してではなく、一部の人に暴力を用い、それによって暴力を振るわれたわれたときの恐ろしさや痛み、苦しみを理解させ、その恐ろしさや痛みや苦しみを通して、人々を自分の考えに従わせ、自分の思うように、しかも自発的に動かさせようとするのだとフーコーは言う。
たとえばよく言われる死刑抑止論です。死刑という暴力的な刑があるから、人々は死刑を恐れて人殺しと言った犯罪を思いとどまさせる意義があると言った理屈です。それは法という権力が、死刑という暴力をつかって正義を護るです牢とするのです。
正義を護ろうとするとき、 人は暴力的になる自分を許容できる。それと同じ心理がパウロに働いていたと思われます。それが使徒行伝22章3節4節にある「3:わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。4:そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」という言葉の中に如実に現れている。
みなさん、このように自分が正しい、正しいことをやっていると思う時に、人は極めて残酷的なことを行うということはしばしばあるのです。それは信仰の世界でもある。いや信仰の世界だからこそ、一層厳しく顕著に表れてくるのかもしれません。
例えば、先ほどの旧約聖書・歴代誌下16章7節から10節に出てくる南ユダ王国のアサという王様です。 このアサ王は神を信じる信仰に対して極めて敬虔であり、歴代の南ユダ王国の王様としては優秀で善い王様の一人に数えられる人です。実際、エチオピア人が百万の大軍をもって南ユダ王国を攻めてきた時に、その半数たらずの58万であったのにもかかわらず、神により頼む信仰によって、このエチオピアの百万の大軍を打ち破ったという実績をもっていました。それによってアサ王が納める南ユダ王国は長く戦争の内平和な時を過ごすのです。
ところが、その南ユダ王国と同じ古代イスラエル王国にルーツを持つ北イスラエル王国が、南ユダ王国に平和な時を破ります。北イスラエル王国の王バアシャが攻めてきたのです。この北イスラエル王国の攻撃に対して、アサ王はスリアの王ベネハダに金銀を送り、同盟を結んで共に北イスラエル王国戦ってくれるように懇願します。この願いを受けてスリア軍が南ユダ王国の援軍となりアサ王は北イスラエル王国を退けるのです。
ところが、このスリアの王に援軍を求めたアサ王の行動を先見者ハナニが叱責したというのが、先ほどお読みした歴代誌下16章7節から9節です。先見者とはサムエル記上9章9節などを見ますと「今の預言者は、昔は先見者といわれていた」とあるますから預言者と同じ意味だと考えてよろしいかと思います。その先見者ハナニは、アサ王がかつて神により頼んでエチオピアの大軍を退けたように神により頼むのではなく、スリアの王という人を頼って問題を解決しようとしたその姿勢を叱責したのです。
けれども、アサ王はハナニの叱責の言葉に耳を傾けません。アサ王にも、自分が神の前に正しく生きてきたという自負があります。そして実際にエチオピア軍を撃退し、南ユダ王国に長い平和な時をもたらしたという実績もある。そして、今回も北イスラエルの攻撃を退けるという結果も出している。まさに、自分は間違ったことをしていない、自分は正しいのだという思いがある。信仰的にも、またその信仰に基づく行動においても正しい、間違っていない、その思いが、ハナニの言葉に耳を傾けることができず、むしろ10節にあるように、ハナニを牢獄に入れるという行為に至ってしまうのです。
先見者ハナニを牢獄に入れるということは、いわばフーコーがいうような部分的な暴力を用いて自分の考えや思いをつらぬく行為です。そのようなことにいったん手を染めたアサ王は、さらには自分の意に添わない民をも虐げる者へとなってしまいました。そのことが歴代誌下16章7節から10節に記されている。
みなさん、その同じ過ちが、あの使徒行伝8章1節から3節のサウロにおいても繰り返されているのです。それは、自分が正しいと思う、自分は間違っていないと思う人にからみつく罪であり、正義感や正しさが陥りやすい罪の罠なのです。
もちろん、誤っていること、間違っていることは正さなければなりません。しかし、誤りや間違いを裁き、制裁や刑罰で正そうとするならば、私たちはいとも簡単にこの罪が仕掛ける罠に陥ってしまいます。聖書に出てくる律法学者を代表とする当時のユダヤの人々は、まさに、その裁く裁きによって、ユダヤの人々を正しい道へ導かれると考え、また裁きを通して過ちを正そうと考えていた。しかしそれは、律法の用い方としては決して好まし方法ではないのです。
ではどうすればよいか。私たちはそのことを先ほどお読みしましたマタイによる福音書の12章1節から8節にあるイエス・キリスト様のお姿から学ぶことができます。 このマタイによる福音書12章1節から8節は、イエス・キリスト様の弟子たちが安息日に麦畑で麦の穂を摘んで食べたことを巡るイエス・キリスト様と律法学者たちの論争が記されています。
それは、人様の麦畑の麦の穂を取って食べたということの倫理性を巡る議論ではなく、安息日にはいかなる労働をしてはならないという律法を巡る信仰の問題を争う論争です。
この論争において、律法学者たちは弟子たちが律法にある安息日規定を破っているといって、イエス・キリスト様に弟子たちを訴え責めます。そこでは律法が裁きの道具となり、弟子たちを裁いているのです。 ところが、イエス・キリスト様はダビデとその共の者が飢えの中にある時、ダビデは律法で祭司しか食べてはならないと定めてあるパンを自分も食べ、また植えているその共の者たちにも与えたというのです。そしてさらに安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日に祭司としての労働をしも律法違反にならないと聖書に書いてあると反論するのです。
その上でイエス・キリスト様は、「わたし(すなわち神)が好むのは、あわれみであって、いけにえではない」と言われている意味を律法学者に問うのです。 それは、律法は人に罰を与えるための裁きの原則としてあるのではなく、むしろ、私たちが神と人との関係、人と人との関係に置いて、争うのではなく平安に生きていくために隣人愛の原則としてあるということです。
だから「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」というのです。 誰かが間違っている、過ちを犯しているというとき、私たちに求められているのは、相手を間違っていると裁き、断罪し責めのではなく、相手の心に、気持ちに寄り添う憐みの心です。憐みの心とは、相手の気持ちを汲み取り、どうしてそのような考え、どうしてそのような行動に出たのか、また相手が自分の行動でどのような気持ちになるのかを考え、語り行動することです。ここが大切です。ただ考えるだけでなく、語り行動すること。ここが大切なのです。
みなさん、私たちの教会の今年の御言葉は、週報の表紙に記されていますね。そう「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけであいするのではなく、行いと真実をもって愛し合おうではないか」(ヨハネ第一の手紙、3章18節)という御言葉です。それはまさに、「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」という隣人愛の実践です。
サウロは、自分の信仰と聖書の理解は絶対に正しい、間違っていないと思っていた。その思いが義憤となり、正義感となり、そしてその信仰によってキリスト教徒を疎外し、抑圧していったのです。しかし、それは迫害と弾圧なって「男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた」という愛に欠ける間違った行為になって現れた。
みなさん、聖書には「悪い木は悪い実を結ぶ」とは聖書が言いところです。しかし、聖書は私たちに善き実を結ばせる善きものです。ですから、たとえ聖書の言葉を用いていても、その聖書の言葉をもって、またキリスト教の信仰をもって、私たちが人を裁いていたならば、私たちは正しく聖書を理解していないし、信仰を正しい思いで生きていない悪い木となって自己主張をしているのです。 そのことを、今日の聖書箇所の使徒行伝8章1節から3節はパウロの姿を通して私たちに語っている。それは私たちが裁くものではなく、神の愛に生きる者となるために大切な教訓なのです。祈りましょう。