2018年 11月25日 小金井福音キリスト教会 説教
聖書
旧訳書 : レビ記
福音書 : マタイによる福音書
使徒書 : 使徒業伝
説教題 「 キリストの体なる教会の在り方」
今日の礼拝説教の中心となる聖書個所は使徒行伝2章40節から47節ですが、この箇所はもっとも最初期の教会がどのようなものであったかを私たちに教えてくれる箇所です。イエス・キリスト様は十字架に架けられ死なれ蘇られることによって、私たちを罪の支配から解放して下さり、神との新しい契約で結ばれた神の国の神の民としてくださいました。
そのよみがえられたイエス・キリスト様は、そのことを弟子たちに教え、そして天に昇られると言う象徴的な行為によって、ご自分がまさに神のひとり子であられることをお示しになりつつ、父なる神の御元へとお戻りになられたのです。それと引き換えに、イエスキリスト様は聖霊なる神がこの世界にお下しになった。それが使徒行伝2章1節から40節にあるペンテコステの出来事でした。
このペンテコステの出来事を通して、具体的な形として見ることはできませんが、この世界に唯一普遍の、世界中のすべての教会を包む神の国であるキリストの体なる教会が始まった。私たちは、そのキリストの体なる教会が、具体的に目に見える形で結実した一つの教会である小金井福音井リスト教会に結びつけられ、今日、こうして神を礼拝しているのです。ですから、この小金井福音キリスト教会という具体的な教会は、神の国であり、キリストの体なる教会の、「この世」での表れの一つなのです。
この神の国の表れである教会とはどのようなところであるか。それがこの使徒行伝2章40節から47節に表されている。逆に言いますと、この使徒行伝2章40節から47節をみますと、神の国である教会とはどういうところであるかがわかる。また神の国である教会は、どのような教会を目指し教会形成をして行けばよいかということがわかるのです。
では、その原初の教会の姿とはどのようなものであったのかと言うと、まず第一に彼らは使徒たちの教えを固く守っていたと言うことです。
ここでいう使徒たちの教えがどのようなものであったのかについて、これが使徒たちの教えだよと言ってまとまった形で示して箇所は聖書の中にはありません。しかし、聖書以外の歴史的資料の中にそれらしいものがある。それが使徒たちの遺訓と呼ばれる書物、ギリシャ語ではディダケ―(διδαχη)と呼ばれる書物です。
この12使徒の遺訓は1世紀から2世紀、おそらくは紀元100年前後に書かれたものだと考えられています。ですから、12使徒たちが生きた時代に非常に近い時代に書かれたものですので、この使徒行伝2章42節で書かれている使徒たちの教えというものの内容は、おそらくはこの12使徒に遺訓に反映されているものと考えてもいいだろうと思います。
実際、今日の聖書個所の使徒行伝2章44節、45節には「44:信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし 45:資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」と記されていますが、これなどは、12使徒の遺訓第4章「人を敬うこと」の5節から8節にある言葉が実践されていた一つの事例だと言える出来事です。すなわちそこには、こう書かれているのです。
5:なんじ、もらうときには手を伸ばし、与えるときには手を引っ込める人のようで
あってはならぬ。6:自分の労働で獲得した何かを持っているときには、罪の贖いとしてそれを人に与えよ。7:与えることをためらってはならぬし、与えるときにつぶやいてもならぬ。やがてなんじへの報い主がだれであるかがわかるであろう。8:日々の生活に事欠く人を退けず、持てる物はすべて分ちあい、何物をも自分だけの物としてはならぬ。なぜなら、なんじら不死性に一緒にあずかるから、むろん、はかないものを分ちあわなければならない。
この12使徒の遺訓は、肉の欲と悪事から離れて、神の民として神の民らしく生きなさいと言う倫理的な教えと教会の洗礼や聖餐、あるいは断食や祈り、そして教職制度などの教会制度や礼典に関する教えが記されていますが、特に神の民がいかに生きるべきかと言う倫理的な面では、主に十戒と山上の垂訓に立脚して書かれています。
この十戒や山上の垂訓は、歴史的には聖書解釈上いろいろと意見や主張が分かれてきた箇所です。例えば、宗教改革の時期に山上の垂訓を巡っては、ルターとエラスムスの間でその解釈が分かれました。どのようにわかれたかと言いますと、宗教改革者のルターは、山上の垂訓は罪びとである人間には行えない神の道徳基準であって、人間が神の道徳基準を行うことができない罪びとであることを教えるものであると言う。そして、この罪びとである自覚が起こることからこそ、行いではなく信仰によって救われる神の恵みを求めさせるためにあるのだと言うのです。それに対して人文主義者であるエラスムスは、いや山上の垂訓は人間に決してできない道徳基準といったものではない。人間にはそれを行うことが可能である。そもそも聖書は人間にできないことを要求などしないと主張したのです。
どちらの言い分にも、それなりに「なるほどなぁ」と思わされるところがあります。しかし、この12使徒の遺訓を見る限り、使徒たちは、十戒もまた山上の垂訓も神を信じ神に従って生きる民には決して実現不可能なことではないと考えていたようです、それらを実際に実践して生きて行くように努力してい来ることを求めていた。それはつまり、神の国のこの世の表れである教会は、神を信じる神の民が神の言葉に従って生きていくためにあるのだと言うことを私たちに語り、教えていると言うことでもあります。そしてそのような神の民が集まる教会は、必然的に、神の言葉に従って生きて行く者たちの群れとなって行くのです。そしてそれが、本来の教会の姿であり、教会の目指していく方向なのです。
原初の教会に見られる教会の姿の第二の点は、交わりをなしていたと言うことです。この交わりと言うのは、使徒信条[i]でいうところの聖徒の交わりと言ってもよいでしょう。みなさん、私たちは、毎週の礼拝で使徒信条を唱和します。使徒信条は、私たちが信じるキリスト教の信仰の大切な要素であり、私たちの信仰告白でもあります。
その使徒信条は、まず「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と言って、父なる神について述べ、それに引き続いて「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と子なる神イエス・キリスト様について語ります。そしてその後に「我は聖霊を信ず」と言って聖霊の業として、聖なる公同の教会が建てられ、聖徒の交わりが始まり、私たちに罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命が絶えられたことを信ず」といって聖霊がなされる業について語るのです。
ですから、教会は聖霊によって造られるのであり、その教会に集う者たちは聖徒として互いに愛し合い支え合う交わりを持つのです。その具体的表れが、やはり先ほどの使徒行伝2章44節から45節では「44:信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし 45:資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」として実践されていた。つまり、聖書の教えを実践していくならば、一人一人が、神の民として神の言葉に聞き従いながら生きていくならば、神の民の集まりである、教会においては互いに愛し合い支え合う交わりになっていくと言うことです。
この互いに愛し合うと言うことは聖書が一貫して主張する聖書の教えです。先ほど、司式の兄弟にレビ記19章の9節10節をお読みいただきました。そこにはこうありました。
9:あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。10:あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
この言葉は、同じレビ記20章22節でも繰り返されます。このように繰り返し述べられると言うことは、それが重要な内容であると言うことを意味していると考えてもよいでしょう。そして、このレビ記19章9節10節の言葉が意味するところは、貧しい人や寄留者が食べるのに困らないように顧みてあげなさいと言うことです。そして、その根底には他者を想い愛する隣人愛がある
みなさん、私が神学校で学んでいるとき、ある教授から古代のイスラエルの国家は福祉国家であったと言うことを学んだことがあります。それは、まさにこの落ち穂の教えにみられるものです。現代の日本においても福祉の重要性は認められるものであります。そして様々な福祉制度があります。しかし、その反面で、別の価値観がある。それは能力や実力がある者、何らかの成果、結果を残した者が、その能力や実力に見合う報酬を受けるのは当然であると言う考え方です。ここ数日、日産のカルロス・ゴーン氏が逮捕された事件に関する報道が繰り返し行われていますが、その背後には、このようなある種の実力主義的な風潮があることは否めません。何かを生み出すといった生産性や創造性のある人間が優れた人間として尊ばれ、重んじられる風潮です。
古代イスラエルにおける福祉国家の考え方の基本は、すべての人間は平等に顧みられなければならないというものです。一人一人に差異はあり違いがある。その際や違いを認めつつ、それによって人間の評価が変わってしまわないということが、福祉の根底にある。だから、貧しい人や寄留者の人が食べることに困らないように、すべてを収穫しきらず、残しておくように神はイスラエルの民に命じるのです。
しかし、実力主義や成果主義と併存する福祉の考え方は。能力があり実力もある人間が、その能力や実力に応じて成し遂げられた成果によって報酬を受けるのであって、成果を残すことの出来ない人間は、貧しくても仕方がないが、せめて食べる分だけは面倒を見てやろうと言う考え方です。もちろん、多くの福祉に携わる人がそのように考えているわけではありません。福祉に携わっておられる方のほとんどが、むしろ他者を思いやる優しい心でその仕事をしておられます。ですから、そのように断定しきってしまうことは問題です。
しかし、実力主義や成果主義と福祉と言うことが共存するところには、福祉の現場以外のところからそのような考え方が生まれてくる土壌は確かにある。たとえばそれは、あの神奈川県津久井市の山ゆり学園で起こった重い障害をもっておられる方々を何人も惨殺した事件などになって噴き出してくる。
あの山ゆり学園の事件が起こり、その犯人が主張した「障害を持った方は家族や社会に不幸を生み出す」と言った考え方も、実力主義や成果主義の社会が生み出すひずみがもっともゆがんだ醜い形で表れたもののように思えるのです。
もちろん、あの事件が起こった後、多くの人が憤りや、怒りを感じた。それは、私たちの古ことの中に、それぞれの差異を認めつつも、その際によってその人の存在の優劣を決めない神の像が刻み込まれているからです。そして、その神の像が、思いやりや愛と言った神の子として造られた人間の精神に、互いに愛し合い支え合うと言う神の法を刻み込んでいるからです。それは本当に素晴らしいことですし嬉しいことです。
しかし同時に、あの山ゆり学園の事件の犯人の主張に共感できる、あるいはわからないわけではないという人がいるのも事実ですし、つい最近でも「同性愛の人は生産性がない」などといって生産性で人の価値を判断するような発言した国会議員の方がおられるのも現実です。
そのような社会の中で、教会は、様々な差異を持った人が集まり、そして、自分の持っているものを分け合いながら互いに愛し合い支え合うといった神の国を目指した聖徒の交わりを築いて行くところなのだということを最も最初の教会は私たちに示しているように思うのです。
そのような原初の教会のようになるためには、私たちひとり一人が自分の優れたところを示し、人の上に立って生きる生き方を目指すのではなく、むしろ、へりくだって生きる者となることが必要です。そしてそれはイエス・キリスト様の生き方でもあった。
先ほどのマタイによる福音書20章20節から28節において、イエス・キリスト様に私の二人の息子をあなたの右と左においてやって欲しいというゼベダイの子らの母の願いは、より高い地位をえることを善しとする「この世」の価値観のもとでは、親の願いとして極めてまっとうであり、むしろごく自然の願いだと言えます。
しかし、イエス・キリスト様がそこで弟子たちに求めたのは、人と上に立つ者になるのではなく、むしろ自らを低くして人に仕える生き方でした。そのような、自らを低くし、人のために仕えて生きる生き方は、まさに神の御子が人となられると言う謙遜さ、そして私たち人間の救いのために命をも投げ出してくださった姿であり、そのへりくだりと奉仕に生きるイエス・キリスト様の姿こそが、神を信じて生きる者の模範でありました。
もちろん、私たちはイエス・キリスト様のように自分の命まで投げ出すことはできないかもしれません。いや、それはできないことでしょう。あの原初の教会に集ったクリスチャンたちが、持っているものを差し出し、必要に応じて分け合ったということだって難しいことです。しかしそこに、互いに愛し合い、支え合う聖徒の交わりの模範があるのです。
だからこそ、私たちは、今の私たちの置かれた状況の中で、私たちに出来る互いに愛し合い支え合って生きる教会の姿を模索していく必要がありように思うのです。
そして、原初の教会が示している教会の在り方の三つ目の事柄は、ともに礼拝をすると言うことです。使徒行伝42節の言葉で言うならば「共にパンをさき、祈をしていた」と言うことです。
この「共にパンを裂き」ということは、今日でいうならば聖餐式のようなものです。原初の教会の人々は、安息日になると、午前中はユダヤ教の会堂に行き、ユダヤの人々とともに礼拝を守り、夜になると信徒の家に集まり、パン裂きというそれぞれが持ち寄ったパンとぶどう酒を食べる愛餐の時を持っていました。そのパン裂きが後の聖餐式となり、ユダヤ教ではないキリスト教の礼拝の中心となったのです。だから、聖餐はキリスト教会の礼拝にはなくてはならないものなのです。だからこそ使徒行伝2章46節では「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし」ていたと言うのです。
このように原初の教会は、使徒たちの教え、それは聖書の教えに基づくものですが、その使徒たちの教えに従って自分の欲から離れ悪事を行わず、互いに愛し合い支え合いながら、神を礼拝しながら日々を過ぎしていたのです。それは、一言でいうならば、「神を愛し隣人を愛する」生きた方です。そして、そのような生き方が教会の中だけではなく、広く「この世」の人々に向かって開かれていたのです。そして、そのような教会は、人々に好意を持たれ、そして、神様は救われる者を起こし、そのような教会に日々仲間を加えてくださった。
みなさん、私たちは、このキリストの体なり教会に加えられたひとり一人です。それは、原初の教会のように、神を愛するがゆえに共に神を礼拝し、聖餐を共にし、隣り人を愛するが故に、互いに愛し合い支え合って生きて行くキリストの体なる教会を築き上げるためです。そのことを覚えつつ、神を愛し隣人を愛する者の群れとなっていきましょう。お祈りします。
[i] 使徒信条「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン」
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